バレエはパリで 

9 オルセー美術館


ロダン美術館からタクシーで数百円  もっと若ければ地下鉄で行った筈ですが 年とともに体力と気力が衰えました  一駅乗って乗り換えてまた一駅だけなんですけどね 地下に降りたらすぐに改札口があるわけでもなく 乗り換えも延々と歩かなければならなかったりします  それでもオルセーから次の オランジュリー美術館までは歩きました  距離はあるものの セーヌ川の向こうに見えていますから  結局この日は美術館三つ!   

オルセー美術館のレストランで食事をしました  レストランはもう一箇所ありますが どうせなら豪華な方がいいわ  かたことの日本語でオーダーを取るウェイターさんがいました  

印象派について  
ジヴェルニーへ観光バスで行った際 案内をしてくれた日本人添乗員さんは 若い頃に絵を勉強した人で その説明の詳しいこと! 自分で描いたデッサンを見せながらの解説は とても分かりやすく勉強になりました(My bus 中川氏  

その昔 フランスではサロン(展覧会に 出品して入賞しないと画家達は生活ができませんでした  1863年のサロンに入選した絵の中にカバネルの ヴィーナスの誕生があります  この絵はナポレオン3世が購入しました  そしてこの年 落選した絵を集めた展覧会が開かれ その中のマネが描いた そうじょうの昼食は大変な物議をかもしました  それまでは 先に述べたヴィーナスの誕生のように 歴史上の英雄を美しく描くのが絵というものでしたし 女性の裸体は女神に限られていたのです  それなのにマネは普通の女性の裸体を描き しかも彼女はマネと特別な関係にあり よく知られた娼婦でしたからスキャンダルになりました  ちなみに2年後のサロンに出品された オランピアという絵も同じ女性がモデルで さらなるスキャンダルを巻き起こしたのでした   

さて この落選展を見に行った観衆の中に モネ ルノワール ピサロがいました  3人は同じ絵塾で学ぶ友達で マネの絵に衝撃を受けます  そっかぁ 絵ってこんなふうに描いてもいいんだぁ! 彼らはその足で塾をやめ 新古典主義に別れを告げました  これが印象派の出発で それ故にマネが 印象派の父と呼ばれる謂れですが マネ自身は印象派展に 自分の作品を出品することはありませんでした  

印象派は光と影の芸術だと言われます  それまでの絵は影を表現するのに黒かこげ茶が使われましたが 印象派の画家達はさまざまの色の濃淡で影を表現しました  モネの 日傘をさす女は女性の顔がはっきり描かれていません  モデルは怒ったでしょうねぇ  実はこの絵のポイントは傘の裏側なのです  モネは影を表現する練習にこの絵を描いたので 合計7枚ある ルーアン大聖堂も同じです  つまり これらの絵を買った人は 練習作品に大金を払ったわけですよ   

ところで印象派に多大な影響を与えたのは何だと思いますか?  日本の浮世絵です  ルネサンス( 芸術復興に影響を与えたのはギリシャとローマの芸術ですが 浮世絵はそれに匹敵する影響を 印象派に与えているのです  オルセー美術館ができて最初の特別展をやった時 そのテーマに選ばれたのがジャポニズムであるのも それを証明しています  アールヌーボーとは美術工芸品を扱う店の名前で 浮世絵がたくさん売られていました  美術様式のアールヌーボー( 新しい芸術は この店の名前に由来します   

オルセー美術館の絵の写真 ミレーの落穂拾い マネのそうじょうの昼食 ゴッホのアルルのゴッホの部屋 カミーユ

この項 終わり

 

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