2000年の日記
2000年1月1日 我が家の年賀状
夫) 美術大学を目指している息子の 塾での課題は 重い物と軽い物をデザインせよ
というもの
今年83歳になる私の父は 軽いほうのはお父さんの財布を描いたら? と提案し 私は下を向く
高倉健主演の映画 鉄道員(ぽっぽやを2回見る
女房と二人で1回目 私が泣き 女房は知らん顔 父と二人で2回目 おい息子よ ユウコ(娘と似ていないか あの子 と広末涼子を指さし 私は上を向く
妻) ねぇ お父さん うちの会社の株 私が勤め始めてから 随分上がっているのよ 私ってきっと あげまんなのね でもその割にお父さんは あらアナタ どうして横を向いているの? 私の話 聞いてんの?
本年も どうぞよろしくお願い申し上げます
2000年11月26日
今 我が家は 厚木飛行場の 防音工事の真っ最中
全ての家具を移動し 8帖の部屋が3帖分程残った所に 猫と私のために一人用の
小さな炬燵を置きました 台所の流しも取り外したので 仕事から帰ってもあたふたと 夕食の仕度をする必要もなく 買ってきたお弁当やお酒のつまみを 炬燵の上に並べて夫と向かい合い 何を話すでもなく それぞれ新聞や本を読みながら 思い出したように ビールを口に運びます グラスはひとつ
彼の悪い癖は 口元にグラスを持ってきたまま 本を読みふけることで いらいらした私は叫ぶのです 飲むの 飲まないの? さっさとよこしなさいよ!
2000年12月3日 工事中の話 その2
ふすまを取り替えに来た職人さんが 踏み台を貸してくださいとおっしゃって 夫が椅子を持っていきました
後日設置にいらしたおり 夫に 椅子は出したの?と聞くと 言われてないもん
ゆ ゆるさん! あなたのまわりにもこんな奴いませんか?
うちのバカは 古新聞の入れ物の中にゴミを捨てる 自分で買ってきたウニの瓶詰めを 好きなだけ食べて(ま 当然か) 洗わないで捨てる そう リサイクルの意味が 全然分かってないのよね
このように 亭主が私の意に添わないことをする度に 私は叫びます
いつか捨ててやる! 勿論 亭主をよ
2000年12月16日
我が家の年賀状作りは 夫が先に原案を出すのです
が だいたい彼の文章は 観念的過ぎるのよね それで私がウケをねらって 味付けをし 盛り付けます
今回は 夫が真っ先に見せたのが娘 彼女が プッと吹き出したので それでほとんど 決まったようなものでした
で 今は印刷をしております 夫の350枚は レーザープリンターで白黒 私のは インクジェット用の年賀葉書で カラー印刷 不公平? あたりまえでしょ できるなら自分でやってみろって!
2000年12月23日
殆ど使っていない 解約寸前のアドレスへ 変なメールが届きました
1回目 この前はご馳走様でした
2回目 電話してもいつも留守電でしたよー
で 返事を出しました あなたはどなた? 蒲田のキャバクラに
遊びに来てくれたんですよ トミさん少し酔われてたから あまり覚えてないかな?
一瞬 夫を疑いました でも次の言葉で疑いはすぐに晴れました
メールアドレスの交換したんですよ 携帯番号も聞きましたよ
夫はパソコン音痴 携帯電話も持っていません
何年か前の年賀状に 私のアドレスを書いたことがあるのです ほら うちの年賀状って 夫婦合作でしょ? 受け取った夫の知人が 女の子をくどくのに それを利用したわけね まったく うちの亭主には ロクな友達がいないのね
勿論 言ってあげましたとも 私は何歳のおばさんです 夜の世界に遊びに来る男の言うことを まともに信じちゃダメよ