2001年の日記   


2001年1月1日  我が家の年賀状   

私の家には いろいろと制限がある  

家訓3ヶ条  
1 やっても良いこと   小遣いで買った100円の発泡酒なら 何本でも飲んで良い等 数えるほどしかない   
2 やってはいけないこと   冷蔵庫に入っている生玉子を 無断で食べてはいけない等 多数有り   
3 やらなければならないこと   台所に散乱した前夜の茶碗を 出勤前に片づける等 年々増えている   

やってはいけない事を繰り返し やらなければならない事をやらないと 女房の怒鳴り声が響きます  いやなら 出て行っていいのよ!  

今年も多難な一年となりそうです   

2001年の年賀状葉書

2001年2月24日   

うちじゃ亭主が時々 酒の肴を買ってくるのね  
私が作らないからって? とーんでもない  私だって ちょこっとは用意しますよ  何せ飲みたいもんね  で 私のものは 私だけのもの 亭主のものは 全部私のものである私は 当然それを食します  でもこの間の昆布はいけなかった  白い粉をふいている昆布は知っているけれど 赤い粉をふいていたのです  
何これ 腐ってるんじゃないの?  
そんな筈ないよ  だったら一人で食べるからいいよ  

翌日の夜 夫は死にもしないし 食あたりもしていないようなので 私も恐る恐る 口に入れてみました  腐ってはいなかったけれど 特においしいものでもなかったので その後は食べませんでした  

数日後 奴はとんでもないことを やってくれたのよ  買ったお店に 腐ってるんじゃないかと 持って行ったんですって! フツー 五分の一も食べてから そんなことするか? あー 恥ずかしい  一緒に歩きたくない!!  

そしたら その昆布は 梅の味がついているから 赤いのですって  (でも梅の味なんかしなかったぞ  
お店のおじさんは代わりに 烏賊をくれて おまけにキムチ味の昆布までくれました  これは本当にキムチの味で おいしかったから 一晩でなくなってしまいました  亭主が失礼な事して ごめんなさいね おじさん   

 

2001年3月3   

息子が美大に合格しました  高3から絵を習い始めて 1ろうでの合格は まずまずのところでしょうね  浪人中の1年間は 朝は家族の誰よりも早く 起きてお風呂に入り 親が起きだす頃には 出かける日々でした  予備校では良き師 仲間にめぐり合えて充実していたようです  

今回から2回に分けて 息子の根性物語をお届けします  

幼稚園   
我が家での食事は 出したものは残さず食べさせるようにしていました  でも本人はピーマンが嫌いで お弁当に入れたピーマンを 残して帰ってきた時は ひからびたピーマンを 口に入れてやりましたよ  

ある日の夕方 幼稚園の先生が 教室の掃除をしていると 息子の座布団の下から ピーマンが一切れ出てきたのだそうです  我が家のしつけをご存知だった先生方は  いいのかしら?  いいのかしら?と オロオロなさったとか  

サッカー    
初老の男性コーチが日曜日に 近所の中学校の校庭を借りて 子供達にサッカーを教えておられました  メンバーは幼稚園から 小学校6年生まで  5歳にして初めて おい コラの世界に放り込まれた息子は 最初の1か月は毎回 泣きながらお兄ちゃん達に 送られて帰ってきました  勿論 行きたくない とぐずりましたが それをすんなり受け入れる 母親ではありません  7,000円も出して ユニフォームを買ったんですもの  
で 言いました  3年間頑張ってみなさい  

小学校に入ってしばらくすると 学校にサッカークラブができたので 有力な子から順に そっちに移っていきました  一人減り 二人減り  最後には息子一人だけになってしまい コーチと二人で 球蹴りをしていたようです  
ある日 息子が帰ってきて言いました  お母さん 3年経ったからやめてもいいでしょ   
それで次の日曜日に ご挨拶に行きました  コーチは校庭でポツンと待っておられ さびしそうでした   

 

2001年3月10日   息子の根性物語   後編   

ピアノ   
私はピアノを弾ける男性に 憧れているのです  昔 ドラマの中で 林隆三さんが弾いておられるのを見て わー ステキと思ったのです   
で 息子にも習わせました  毎日練習させましたよ そしたら ずっとあとになって 娘が言いましたっけ  
ピアノの練習のおかげで 音楽が嫌いになったのよと  娘がピアノをやめた時に 息子も一緒にやめたいと言いましたが すぐに認める母親でないことは もうおわかりですよね  それで言いました  エリーゼのためにまでやったらね  

ある日 ピアノ教室へ行った息子が 顔を輝かせて帰ってきました  
お母さん 今度の発表会の曲が決まったよ  僕 エリーゼのためにを弾くんだ  
発表会を最後に ピアノはやめました   

反抗期   
中2の6月のことでした  小さな悪を繰り返していた息子に お前の顔など見たくもない!と怒鳴ったら プイと2階に上がったまま 母親が1階に居る間は下に降りてこなくなりました  朝食は取らずに学校へ出かけ 帰るとまっすぐ2階へ直行  夫は自分の子供の頃にそっくりな この息子がいとしくて 寄り道せずに帰宅しては 毎晩2階へ夕食を運んでおりました  
1年後 ごはんよーと下から叫んでみました  すんなり降りてきた息子は すっかり大人になっていました  
さて これで私の子育ても卒業です とりあえず 学費だけは出してやりましょう 後は野となれ   

 

2001年5月26日    今までの人生でくやしかったこと 2回

結婚して3年目に マンションを買い 6年住んで1軒家に買い換えました  夫は 近所にパチンコ屋と喫茶店があれば どこでもいいと われ関せずでしたから 何もかも私ひとりでやりましたよ  ええ だからこの家は私のもの 別れるときは あなたがここを出て行くのよと 常々 よーく言い聞かせています  ま 当然よね  

それはさておき マンションを売るとき 不動産屋に査定をしてもらい じゃ その金額で売りに出して下さい と言ったときのこと  彼は一瞬 何が何だかわからないという顔をして言いました  ご主人の了解を得ないと   主人は承知してます   え? でもー ご主人がご在宅の時に また参りますよ  
だからいいんだってば!   

その後 買う物件を見てまわり  ここに決めますと言ったとき 別の業者でしたが ではご主人には いつ見ていただきましょうか?  あら主人はいいのよ  彼はおろおろして言いました  いや でもやはりご主人にも…  
もう みんなわかってないのね!  

私のことをよくご存じの 夫の友人達は 決して私に逆らいませんです はい   

 

2001年6月2日   

先日 うちの給湯器が壊れて お風呂に はいれなくなりました  ガス屋さんに見てもらったら 交換が必要とのこと  古い家ですもの 仕方ないわね  

彼の言うことにゃ  今 キャンペーンをやってまして   
おいおい それって押し売りの 常套文句じゃない? そんなのに騙される おばさんじゃないのよ!  
で 言いました  主人に相談してからお返事します  勿論 相談なんかするもんですか! でも これって便利な言葉よね  断りたい時 時間稼ぎをしたい時に  主人に聞いてみないと… なーんて 主婦やってて良かったと思うのは この時くらいよ  
あとで電話帳で調べて 3軒ほど聞いてみたら 結局そのガス屋さんが 一番安かった  疑ってごめんね  

ところで うちの主人の 電話セールス撃退法は  奥様いらっしゃいますか?ときたら 泣き声を出して  女房は死にました ウウッ と言うのです  ちょっと 勝手に人を殺さないでよ! そうすると大抵は  失礼しましたと言って 引き下がってくれるのに 一度だけウワテの女性に出くわして  まぁ それはご愁傷様です  いつお亡くなりに? ご病気で?   それ お墓のセールスだったんですって (爆  

私の友達に告ぐ!  我が家に電話をかけて亭主が出たら  奥様いらっしゃいますか?とは言わないでね   

 

2001年7月14日   

三浦綾子著の 塩狩峠という本をお読みになりましたか?  
明治時代の 実話を元に書かれた物語で 汽車が山みちを登っていると 機関車と客車の連結が外れて 客車がバックし始めました  カーブの所へ来たらそのまま 谷底へ落ちてしまいます  車内はパニック!  すると 乗客として乗り合わせていた こく鉄職員の青年が 線路に我が身を投げ出し 自分のからだで汽車をくい止めて ほかの乗客の命を救ったという 実話に基づいた話です  

結婚してまもなかった私は ダーリンに尋ねました  あなたならどうする?  
同じことをするよ どっちみち死ぬんだもの  
さすがSP!  この人と結婚して良かったと思いました その時はね  

それなのに ああ それなのに   
数年前のことです  夫が急に足が痛いと 騒ぎ始めました  からだが震え 冷や汗をかいて 転げまわっています  子供の頃に 骨折をした場所のそばだというので また骨折かもと救急車を呼んで 病院へ行ったら   
単に 足がつっただけのことだったのです  もう恥ずかしいったらありゃしない!   
騙されたーーー!!   

 

2001年7月21日    

私の夫はホラー映画が大好きで 休日に エイリアンやら  13日の金曜日などの ビデオを借りてきては 家族に 一緒に見ようと言うのです  
楽しいものを 家族で分かち合いたいと思っているのか すきだけど怖いから 一人じゃ見られないのか知りませんが (絶対あとのほうよ 誰があんなグロテスクなもの 見たいもんですか! 断ると 100円あげるから一緒に見てよと懇願します  で たまに100円の魅力に負けて 見ているうちに慣れてしまいました  ここで出てくるよ ほらやっぱり キャ!   以前このことを仕事仲間に話したら さんざん馬鹿にされましたね  

Aさん  私は美しいものだけ見て生きていきたいわ  
Bさん  そうよねぇ (軽蔑の目つき  
そうかなー そりゃお金を出してまで わざわざ見る必要はないけれど じんせいって 美しいものだけしか見ないで 生きていけるものかしら?  

この時の仲間6人で 香港へ旅行した時のこと  
空港を出るとすぐに ゴミゴミした所を通り 町の臭いがバスの中に入ってきました  するとAさん 右を見ては あー いやだ!  左を見ては もう耐えられない! ですとさ   
あんたさぁ ここはこんなものなのよ  いったい何だと思ってやって来たの?  
ま テレビじゃ良い所しか映さないし 臭いもないもんね  

町の中では 死んだようになっていた彼女 近代的ビルの中にある ショッピングセンターと 免税店では生き生きと駆けずり回っていましたっけ やれやれ   

 

2001年10月13日    銀婚式   

夫の会社から 銀婚式のお祝いが送られてきました  銀婚式って 結婚して25年経ちましたって ことですよね  アレー もうそんなになるかしら?  よく飽きもせずに続いたもんだ(笑  
飽きてはいるけれど 他に代わりもいないから とりあえずのキープ君てとこですよ  
フン 敵もそう思っているかも知らんけど  

ところで 私達が結婚したのは 1975年10月28日だぞ  そしたら今年は 26年じゃないのかなぁ  何でだ? そうか 家族の誕生日も覚えていない 夫のこと 転職した時に 会社に提出した書類に 嘘を書いたに違いない!  奴ならやりそうなことだもの  あーあ皆さん こんなのと暮らしている 私の苦労がわかるでしょ?  

でも 去年が銀婚式だったなら それを忘れていた私も  ま どっちもどっちってとこですかね   続く   

 

2001年10月20日   

銀婚式のお祝いは デパートの3万円の商品券でした  夫はそれを全部 自分の物にしたかったんでしょうが この家じゃ そうはいかないのよ!  
それでも ささやかな抵抗を試みる夫  どうして僕宛の物を 先に開けるんだよー  
銀婚式のお祝いって 書いてあるんだから 私にも権利あるじゃないの  と屁理屈をこねる妻  バトルの結果 夫が1万 私が2万  

うれしいような うれしくないような   だってね 我が家はデパートの1割引のカードを 持っているのですが 商品券を使うなら 割引の特典は受けられないわけです  しかも1枚が1万円の商品券なのよ  1000円券だったら 食品売場で使えるのにねぇ  

使うべきか 使わざるべきか    せっかく頂いたのに 損をしたような気になる このジレンマ!  
そこで 出した結論が そうだ弟の娘の 入学祝いに贈ろう!  

何だか 訳のわからない 銀婚式騒動でありました   

 

2001年11月3日   

夫が これが食べたかったんだよーと 真空パックのモツ煮と ネギを買ってきました  どうやら 自分で準備するらしい  彼が言うには まずお湯を沸かして 袋ごと温める  次に 中身を鍋にあけて煮る 最後に 器に移してレンジでチンですってよ! オイ   

ある時 おバカな夫は 冷蔵庫を開け閉めしながら言いました  あれ? きちんと閉まらない どうしたんだろう  私は怒りモード  あんたさぁ 扉に物がはさまってないかとか パッキンが古くなってないかとか 考えてみないワケ?  

彼とお見合いをした時 紹介してくれた 叔父が言いました  今時あんなに 世間ズレしていない男は珍しい  それが ただの馬鹿だということが 分かった時には もう手遅れだったのよ!   

2001年の日記終わり

 

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