47.モスクワ路線
成田空港の開港とともに国際線が成田に引っ越した際、台湾の航空会社だけは羽田に残されました。一緒の空港を使いたくないという、中国からの圧力があったのでした。これは2002年まで続きました。
外交的理由でというのは、他にもあります。
中国便に乗務するcrewは中国のビザを取らなければなりませんが、彼らはソ連のビザを取得することはできず、モスクワ線に乗務するcrewは中国のビザを取ることはできませんでした。国際情勢は変わりますから、今はどうなんでしょう?
当時のモスクワで、食事をするのは大変だったんです。ホテルのレストランは大混雑で従業員の仕事の能率も悪く、ボルシチが出てくるまでに2時間かかったり、かといって外のレストランへ行けば、ガラガラなのに中に入れてくれず廊下に並んで待たされました。それで会社がホテルの1室を借り切ってくれていて、ドルショップへ行ってお肉を買ったり、日本から食材や洗剤を持ち込んで、東京から着いたグループとヨーロッパから戻ってきたグループ皆で料理を作って食べたりしたものです。
ある時モスクワからコペンハーゲンに飛ぶので、日本から到着した乗務員と交代するためにタラップの下で待っていたら、同期のハッちゃんが降りてきました。彼女の言うことにゃ、「あなたがコペンに行くことを調べて来たのよ。ロイヤルコペンハーゲン(陶磁器の店)でバター入れの蓋だけ買ってきてくれない?」と割れた蓋のかけらを渡されました。
何故かけらなのかと言うと、同じ柄でも微妙に色合いが異なるので、かけらと同じ色のをというわけでした。店員さんは慣れたもので、何も言わなくても「この色が同じね」と選んでくれましたよ。バター入れの蓋だけを売ってくれるなんて、さすが伝統のある店は違いますね!