1.南廻り欧州線
ときは1975年3月15日、465便で日本を発ち3月31日に466便で帰ってきました。東京
→ バンコック(1泊)
→ ニューデリー → カラチ(3泊)
→ カイロ(2泊) → アテネ
→ ローマ(3泊、1日はロンドンへの日帰り仕事)
→ テヘラン(2泊)
→ ニューデリー → バンコック(2泊)
→ 東京です。17日間のうちにたった13泊というのは、カラチやテヘランの到着と出発が深夜になるからで、南廻りは体力的にきつい仕事でした。
南廻り欧州線は香港、バンコック、ニューデリー、カルカッタ、ボンベイ、カラチ、テヘラン、ベイルート、アテネ、カイロを経てヨーロッパのローマ、パリ、ロンドン、フランクフルトへ飛ぶ路線で便名によってこのうちのいくつかの空港へ立ち寄りました。ジャンボジェットによるヨーロッパへの直行便ができたので、アンカレッジ経由の北廻り欧州線と共に今ではなくなってしまったなつかしい路線です。乗務員は1-2区間仕事をして交代し、次の飛行機がくるまでその地に滞在します。
ベトナム戦争中はインドシナ半島上空を通過することができずにぐるっと迂回したので、バンコックまでは随分時間がかかりました。2週間におよぶ仕事をして帰りのバンコックにたどりつくと
(まさにたどり着くという言葉がぴったり) ホッとしたものです。ここでは往きに服や指輪をオーダーしておいて、帰りに受け取るのも楽しみのひとつでした。(^^
ファーストクラスはパーサー、女性のアシスタントパーサーとスチュワーデスが一人、エコノミークラスは男性のアシスタントパーサーとシニアとジュニアのスチュワーデスが担当しました。DC-8-30/50型機にはカートが搭載されないため、食事は一人一人手運びの大変な作業で、南廻りの仕事が2回目になった時は
「あら経験あるのね。」
と先輩が安心されたのを覚えています。右の写真の私は経験3年のシニアスチュワーデスで後輩もおり、余裕の表情でしょう?
先にも書きましたように、テヘランやカラチを出る時は深夜勤務になるので、滞在中は夜型の生活を送ることになります。お昼近くになって起きだし、夜は仲間の部屋に集まって夜更けまでトランプ遊び。そしてナポレオンの勝負に負けた人がお茶とケーキのルームサービスの代金を支払うのです。ジャンボジェットとは違い少人数編成なので家族的雰囲気で仕事ができました。