DC8-30/50型機

2001.2.3      今日は飛行機のお話をしましょう。右上の写真は今ではもうJALにはないDC-8で、ローマの空港で撮りました。編成はパイロット3名、客室乗務員が6名 (パーサー1、アシスタントパーサー2、スチュワーデス3) で、この時は東南アジアから中近東を経てヨーロッパへ行き、折り返して17日後に日本に帰って来ました。

DC-8の客室には通路が1つで、左右に座席が3列ずつありました。
ジャンボジェットは通路が2つで座席は横に10列ですが、25年前は9列だったので、現在はその分座席が狭くなりました。縦の間隔も狭まって、窓側のお客は隣の人に席を立ってもらわないとトイレへ行けません。料金を下げる為には座席の数を増やさなければならなかったのでしょうね。
10時間以上のノンストップ便が増え、狭い座席に窮屈な姿勢でいる為に ‘エコノミークラス症候群’ という病気が有名になりました。

某旅行会社がハワイ路線でこんなツアーを宣伝していましたよ。‘座席はビジネスクラス、食事はエコノミー’ というものです。これを国際線の全路線に取り入れていただきたいと願っております。
ちなみに私は必ず通路側に座ります。その方がお酒のお代わりを頼み易いでしょ。(^^

2001.2.24      うちじゃ亭主が時々 「酒の肴」 を買ってくるのね。私が作らないから、って? と〜んでもない。私だってちょこっとは用意しますよ。何せ飲みたいもんね。で、「私のものは私だけのもの。亭主のものは全部私のもの」 である私は、当然それを食します。でもこの間の昆布はいけなかった。白い粉をふいている昆布は知っているけれど、赤い粉をふいていたのです。
「何これ、腐ってるんじゃないの?」
「そんな筈ないよ。だったら一人で食べるからいいよ。」
翌日の夜、夫は死にもしないし食あたりもしていないようなので、私も恐る恐る口に入れてみました。腐ってはいなかったけれど、特においしいものでもなかったのでその後は食べませんでした。

数日後、奴はとんでもないことをやってくれたのよ。買ったお店に 「腐ってるんじゃないか」 と持って行ったんですって! フツー、1/5 も食べてからそんなことするか? あ〜、恥ずかしい。一緒に歩きたくない!! 

そしたら、その昆布は ‘梅の味’ がついているから赤いのですって。(でも梅の味なんかしなかったぞ。) お店のおじさんは代わりに烏賊をくれて、おまけに ‘キムチ味’ の昆布までくれました。これは本当にキムチの味で、おいしかったから一晩でなくなってしまいました。亭主が失礼な事してごめんなさいね、おじさん。自画像

2001.3.3      息子が美大に合格しました。高3から絵を習い始めて1浪での合格はまずまずのところでしょうね。浪人中の1年間は、朝は家族の誰よりも早く起きてお風呂に入り、親が起きだす頃には出かける日々でした。予備校では良き師、仲間にめぐり合えて充実していたようです。
自画像は予備校で誉められたものです。変な顔でしょう? 本人の名誉のために写真を掲載します。

今回から2回に分けて息子の根性物語をお届けします。息子

@幼稚園 ・・・・・・ 我が家での食事は、出したものは残さず食べさせるようにしていました。でも本人はピーマンが嫌いで、お弁当に入れたピーマンを残して帰ってきた時は、ひからびたピーマンを口に入れてやりましたよ。

ある日の夕方、幼稚園の先生が教室の掃除をしていると、息子の座布団の下からピーマンが一切れ出てきたのだそうです。我が家のしつけをご存知だった先生方は、「いいのかしら?」 「いいのかしら?」 とオロオロなさったとか・・・

Aサッカー ・・・・・・ 初老の男性、‘コーチ’が日曜日に近所の中学校の校庭を借りて子供達にサッカーを教えておられました。メンバーは幼稚園から小学校6年生まで。5歳にして初めて 「おい、コラ」 の世界に放り込まれた息子は、最初の1か月は毎回泣きながらお兄ちゃん達に送られて帰ってきました。勿論 「行きたくない」 とぐずりましたが、それをすんなり受け入れる母親ではありません。(7,000円も出してユニフォームを買ったんですもの)
で、言いました。「3年間頑張ってみなさい。」

小学校に入ってしばらくすると、学校にサッカークラブができたので有力な子から順にそっちに移っていきました。一人減り、二人減り・・・。最後には息子一人だけになってしまい、コーチと二人で球蹴りをしていたようです。
ある日、息子が帰ってきて言いました。「お母さん、3年経ったからやめてもいいでしょ。」 
それで次の日曜日にご挨拶に行きました。コーチは校庭でポツンと待っておられ、さびしそうでした。

2001.3.10      息子の根性物語 <後編>

Bピアノ ・・・・・・ 私はピアノを弾ける男性に憧れているのです。
昔、ドラマの中で林隆三さんが弾いておられるのを見て、「わ〜、ステキ」 (*^ ^*)
で、息子にも習わせました。毎日練習させましたよ。そしたら、ずっと後になって娘が言いましたっけ。「ピアノの練習のおかげで音楽が嫌いになったのよ」 と。(^ ^
娘がピアノをやめた時に息子も一緒にやめたいと言いましたが、すぐに認める母親でないことはもうおわかりですよね。それで言いました。「エリーゼのためにまでやったらね。」

ある日、ピアノ教室へ行った息子が顔を輝かせて帰ってきました。
「お母さん、今度の発表会の曲が決まったよ。僕、エリーゼのためにを弾くんだ。」
発表会を最後にピアノはやめました。

C反抗期 ・・・・・・ 中2の6月のことでした。小さな悪を繰り返していた息子に 「お前の顔など見たくもない!」 と怒鳴ったら、プイと2階に上がったまま母親が1階に居る間は下に降りてこなくなりました。朝食は取らずに学校へ出かけ、帰るとまっすぐ2階へ直行。夫は自分の子供の頃にそっくりなこの息子が愛しくて、寄り道せずに帰宅しては毎晩2階へ夕食を運んでおりました。
1年後、「ごはんよ〜」 と下から叫んでみました。すんなり降りてきた息子は、すっかり大人になっていました。

さて、これで私の子育ても卒業です。とりあえず学費だけは出してやりましょう。後は野となれ・・・

2001.5.26    今までの人生でくやしかったこと、2回

結婚して3年目にマンションを買い、6年住んで1軒家に買い換えました。夫は 「近所にパチンコ屋と喫茶店があればどこでもいい。」 と我関せずでしたから、何もかも私ひとりでやりましたよ。ええ、だからこの家は私のもの。「別れるときは、あなたがここを出て行くのよ」 と常々よーく言い聞かせています。ま、当然よね。

それはさておき、マンションを売るとき不動産屋に査定をしてもらい 「じゃ、その金額で売りに出して下さい。」 と言ったときのこと。彼は一瞬 ‘何が何だかわからない’ という顔をして言いました。「ご主人の了解を得ないと…」 「主人は承知してます。」 「え? でもー、ご主人がご在宅の時にまた参りますよ。」 だからいいんだってば

その後、買う物件を見て廻り、「ここに決めます。」 と言ったとき、別の業者の方でしたが 「ではご主人にはいつ見ていただきましょうか?」 「あら主人はいいのよ。」
彼はおろおろして言いました。「いや、でもはやりご主人にも…」 もう、みんなわかってないのね

私のことをよくご存じの夫の友人達は、決して私に逆らいませんです、はい。

2001.6.2    先日、うちの給湯器が壊れてお風呂に入れなくなりました。ガス屋さんに見てもらったら交換が必要とのこと。古い家ですもの、仕方ないわね。

彼の言うことにゃ、「今、キャンペーンをやってまして…」 
おいおい、それって押し売りの常套文句じゃない? そんなのに騙されるおばさんじゃないのよ!
で、言いました。「主人に相談してからお返事します。」 勿論、相談なんかするもんですか! でも、これって便利な言葉よね。断りたい時、時間稼ぎをしたい時に 「主人に聞いてみないと…」 な〜んて、主婦やってて良かった♪、と思うのはこの時くらいよ。
あとで電話帳で調べて3軒ほど聞いてみたら、結局そのガス屋さんが一番安かった。疑ってごめんね。

ところで、うちの主人の電話セールス撃退法は、「奥様いらっしゃいますか?」 ときたら、泣き声を出して 「女房は死にましたウウ…」 と言うのです。(ちょっとぉ、勝手に人を殺さないでよ!) そうすると大抵は 「失礼しました」 と言って引き下がってくれるのに、一度だけウワテの女性に出くわして 「まぁ、それはご愁傷様です。いつお亡くなりに? ご病気で? ・・・」
それ、お墓のセールスだったんですって (爆)

私の友達に告ぐ 我が家に電話をかけて亭主が出たら 「奥様いらっしゃいますか?」 とは言わないでね。(笑)

2001.7.7  添乗員さん

1996年3月、子供達を連れてヨーロッパ旅行をしたときのこと。二人はまだ高校生と中学生でしたので、初めて添乗員同行のツアーに参加しました。

成田で挨拶をかわした時、「オプショナルツアーをひとつも申し込んでおられないようですが、大丈夫ですか?」 と聞かれました。「はい大丈夫です」 「ホントに大丈夫ですか?」 「実は私は元・・・」 「なあーんだ、じゃこちらこそよろしくお願いします」 という訳で、移動の際にやむなく二手に分かれなければならない時は、私が片方のグループを担当しましたっけ。

そんなこともあったので、パリではホテル到着後に夕食をキャンセルして美術館へ行くという私達の為に、途中でバスを降ろしてくれました。全食事付きでしたが、半分はパスして勝手に動き回れたのは彼女の協力のおかげです。勿論、私達だけでなく皆に気を配ってくれて本当に優秀な添乗員さんでした。(と言っても一人しか知らないけど)

ローマでまだ夜が明けないうちに目が覚めた私は、子供達を残してコーヒーを飲みにバール (BAR) へ行ったら、彼女がパンを食べていました。ホテルで朝食は出るのですが、「一人になりたい時もあるわよねぇ」 と色々打ち明け話を聞いたりしてカプチーノをご馳走になりました。
小林さーん、お元気ですか?

2001.7.14  飛行機の乗務員は、非常事態が発生したら原則として乗客の脱出を見届けた後に機外へ出ることになっています。いつ爆発するか分からない状態でも・・・
これは ‘仕事への誇り’ がなければできないことです。
近年、スチュワーデスは新人のうちは契約社員でお給料が随分安くなったそうですね。
私は冗談でよく言うんですよ。「時給○○円ぽっちで、命かけるかー

塩狩峠 (三浦綾子著)』 という本をお読みになりましたか?
明治時代の実話を元に書かれた物語で、汽車が山道を登っていると、機関車と客車の連結が外れて客車がバックし始めました。カーブの所へ来たらそのまま谷底へ落ちてしまいます。車内はパニック! すると、乗客として乗り合わせていた国鉄職員の青年が線路に我が身を投げ出し、汽車をくい止めて他の乗客の命を救ったという実話に基づいた話です。

新婚間もなかった私はダーリンに尋ねました。「あなたならどうする?」
「同じことをするよ。どっちみち死ぬんだもの」
さすがSP この人と結婚して良かった♪ と思いました、その時はね

それなのに、ああ、それなのに・・・
数年前のことです。夫が急に足が痛いと騒ぎ始めました。身体が震え、冷や汗をかいて転げまわっています。子供の頃に骨折をした箇所のそばだというので 「また骨折かも」 と救急車を呼んで病院へ行ったら・・・・・
単に足がつっただけのことだったのです もう恥ずかしいったらありゃしない!!
騙されたーーー!!!

一口メモSP = Security Police (要人の警護員)、アメリカの Secret Service の日本版
一般の大臣には2人のSPがつきます。大臣が車で移動する時は一人が車の助手席に乗り、もう一人は目的地に先に行って待機します。昔の話ですが競馬の好きな大臣がいらして、他の人が車に乗った時は大臣も遠慮なさるのに、同じく競馬が趣味の夫が車に乗ると堂々と競馬新聞を広げていらしたそうです。(笑)

2001.7.21  私の愚夫はホラー映画が大好きで、休日に 「エイリ○○」 やら 「13日の○○○」 などのビデオを借りてきては家族に 「一緒に見よう」 と言うのです。
「楽しいものを家族で分かち合いたい」 と思っているのか、「好きだけど怖いから一人じゃ見られない」 のか知りませんが (絶対後の方)、誰があんなグロテスクなもの見たいもんですか! 断ると 「100円あげるから一緒に見てよ」 と懇願します。で、たまに100円の魅力に負けて見ているうちに慣れてしまいました。「ここで出てくるよ。キャ! ほらやっぱりぃ」

以前このことを仕事仲間に話したら、さんざん馬鹿にされましたね。
Aさん 「私は美しいものだけ見て生きていきたいわ」
Bさん 「そうよねぇ」 (軽蔑の目つき)
そうかなー、そりゃお金を出してまでわざわざ見る必要はないけれど、人生って美しいものだけしか見ないで生きていけるものかしら?

この時の仲間6人で東南アジアの某国へ旅行した時のこと。
空港を出るとすぐにゴミゴミした所を通り、町の臭いがバスの中に入ってきました。するとAさん、右を見ては 「あー、いやだ!」、左を見ては 「もう耐えられない!」 ですとさ。
あんたさぁ、ここはこんなものなのよ。いったい何だと思ってやって来たの?
ま、テレビじゃ良い所しか映さないし、臭いもないもんね。

町の中では死んだようになっていた彼女、近代的ビルの中にあるショッピング・センターと免税店では生き生きと駆けずり回っていましたっけ。やれやれ・・・

2001.9.15  アテンション・プリーズ

友人にビデオを借りて昔放送された 「アテンション・プリーズ」 のドラマを見ました。
その頃の私はスチュワーデス採用試験に合格したばかりで、まだ入社前。ドキドキワクワクしながら見たものです。しかし我が家の子供達は、最初だけ見て 「臭い芝居だねー」(笑)

今思えばあり得ないことの数々。
主人公がハワイのホテルのベランダで、ダイヤモンド・ヘッドを眺めながら感激にひたったり 海に面した別のホテル。それにこんな上等な部屋をあてがわれる訳ないよー、スチュワーデスが制服姿でパンチ・ボウルに現れたり 出勤前にこんな遠い所まで来れないよー

でも、30年前のホノルルやらサンフランシスコの風景が出てきて懐かしかったです。あ、年がバレた?

2001.10.13    銀 婚 式

夫の会社から銀婚式のお祝いが送られてきました
銀婚式って、結婚して25年経ちましたってことですよね。アレー、もうそんなになるかしら?
よく飽きもせずに続いたもんだ。(笑)
飽きてはいるけれど他に代わりもいないから、とりあえずのキープ君てとこですよ。
フン、敵もそう思っているかも知らんけど。

ところで私達が結婚したのは、1975年10月28日だぞ。そしたら今年は26年じゃないのかなぁ。何でだ? そうか、家族の誕生日も覚えていない愚夫のこと、転職した時に会社に提出した書類にを書いたに違いない 奴ならやりそうなことだもの。あーあ皆さん、こんなのと暮らしている私の苦労がわかるでしょ?

でも去年が銀婚式だったなら、それを忘れていた私も…
どっちもどっちってとこですかね。 <続く>

2001.10.20  銀婚式のお祝いは、デパートの3万円の商品券でした。

夫はそれを全部自分の物にしたかったんでしょうが、この家じゃそうはいかないのよ
それでもささやかな抵抗を試みる夫。「どうして僕宛の物を先に開けるんだよー」
銀婚式のお祝いって書いてあるんだから、私にも権利あるじゃないの」 と屁理屈をこねる妻。
バトルの結果、夫が1万、私が2万。

うれしいような、うれしくないような…
だってね、我が家はデパートの1割引のカードを持っているのですが、商品券を使うなら割引の特典は受けられないわけです。しかも1枚が1万円の商品券なのよ。1000円券だったら食品売場で使えるのにねぇ。

使うべきか、使わざるべきか…
せっかく頂いたのに損をしたような気になるこのジレンマ
そこで、出した結論が、「そうだ弟の娘の入学祝に贈ろう!

何だか訳のわからない銀婚式騒動でありました。

2001.11.3  夫が 「これが食べたかったんだよー」 と真空パックのモツ煮とネギを買ってきました。どうやら自分で準備するらしい。彼が言うには、「まずお湯を沸かして袋ごと温める、次に中身を鍋にあけて煮る、最後に器に移してレンジでチン」 ですってよ! オイ・・・

おバカな夫は冷蔵庫を開け閉めしながら言いました。「あれ? きちんと閉まらない、どうしたんだろう・・・」 私は怒りモード。あんたさぁ、扉に物がはさまってないかとか、パッキンが古くなってないかとか考えてみないワケ?

彼とお見合いをした時、紹介してくれた叔父が言いました。「今時あんなに世間ズレしていない男は珍しい」
それがただの馬鹿だということが分かった時には、もう手遅れだったのよ

2002年へ