赤毛のアン (4回行ったプリンスエドワード島の旅行記も読んでね♪) 2018.11
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私の本棚にはモンゴメリの小説が全部揃っています。下の右端は赤毛のアンが最初に出版された時の復刻版で、プリンスエドワード島で買いました。
日本のアンシリーズは10冊で売られていますが、カナダではシリーズは8冊、アンの友達とアンをめぐる人々は入っていません。日本では11冊目の本としてアンの想い出の日々(上・下)(村岡美枝訳)が出版されました。これはモンゴメリが亡くなった時に未完で残されていたもので、モンゴメリ生誕100年を記念して刊行されたものです。原題は
The Blythes are Quoted。アンの村の人々の話の合間にアンが作った詩と家族の感想が書かれ、息子ウォルターの笛吹きの詩も収められています。私はこの本は持っていませんが、この本の一部で村の人々のエピソードの部分だけをまとめた The Road to Yesterdayという短編集が先に出版されていて(モンゴメリの息子が出版)、私がプリンスエドワード島で買ったのはこれなんです。日本ではアンの村の日々、続・アンの村の日々として30年以上も前に篠崎書林から出版されています。ですからアンの想い出の日々は、こちらの本のタイトルを意識したものと言えるでしょう。
さて、NHKで100分de名著という番組があり、モンゴメリの赤毛のアンが取り上げられました。訳者はこの本の訳者として有名な村岡花子さん。NHKとしては朝ドラを放送した関係でこの人の訳本を使わざるを得ないのは分かるけど、誤訳だらけの本。クスバート(カスバート)さんだって! トルンプ大統領と言うのと同じね。
「東大の教室で『赤毛のアン』を読む」の著者 山本史郎先生は、この物語はアンの成長の他、マリラの成長をも描いているとおっしゃいます。マリラはキリスト教の教えからはみ出すことのない四角四面の性格だったのが、アンと暮らすうちに角が取れて、ユーモアの分かる人になっていきます。アンへの愛情も素直に表現することができず、マシュウが死んだ夜に、自分がどれほどアンを愛しているかを告白します。この告白とマリラが徐々に変化して行く部分が旧・村岡花子版ですっぽり抜けているのは何故か? それは村岡花子が赤毛のアンを児童文学として考えていたからだろうと。
児童文学では灰かぶり(シンデレラ)や小公女にいじわるな継母が出てきます。だからマリラも意地悪婆さんのまま終わらせたのではないかと、先生は述べておられます。では、村岡花子さんは作者モンゴメリの意図とは異なる内容にしてしまったの? 「これは翻訳ではなく、意訳ではないのか」と学生さんの意見が載っています。
旧村岡花子版赤毛のアンの最大の欠点は、マシュウが死んだ後の省略が多過ぎることです。原書と訳本を並べて読むと、アレヨアレヨというまに物語が進んでいくことに唖然とします。そこで、お孫さんが間違いを直し、足りない部分を補って出版されたのが現在新潮文庫で売られている本ですが・・・ グリーンゲイブルズが、以前は「緑の切妻」だったのを「緑の切妻屋根」にしたりしなかったり、校正モレですかね。
変更されたところの例。アンを孤児院から連れてきたスペンサー夫人の弟の名前がリチャードに(昔はロバート)。アンの父親の職業が高校の先生に(昔は中学)。あと黒んぼと気ちがいが他の言い方になりました。平成19年以前の古い本をお持ちの方は、買い直されるのが良いかと思います。でもAmazonで注文したら昔の訳本が送られてきて、今の本を買い直したとクチコミにありました。ご注意を
私が一番気にいらない部分は、18章でダイアナのお母さんが言う場面。Pa, why don't you pass the biscuits to Anne? 「お父さん どうして アンにビスケットをまわさないんです?」なんですよね。ここは是非、他の翻訳者のように「ビスケットをまわしてくださいな」に直して欲しかったです。ちなみにこのビスケットは、日本のお菓子のビスケットではなく、パンのようなものです。イギリスのスコーンに似ているでしょうか。
でも訳が間違ってはいても、村岡花子の語感をこわさないよう、あえて改めなかった個所もあるそうです。例えばつぎもの(パッチワーク)と、さしこ(キルト)。そういう物がなかった時代は仕方ないけれど、現代の読者はイメージできるでしょうか? 読者よりお祖母さんが大事?
13章のマリラの言葉、Now, get out your patchwork and have your square done before teatime.を、掛川恭子訳で「夕飯前に小さな四角を一つ作っておしまい」とあるのは、右の写真で私が作ったパッチワークの九つのうちの一つのことです。村岡花子訳はパッチワークじゃないので「さあ
つぎものを出して、お茶の前にきまっただけをかたづけてしまいなさい」と上手に逃げています。
なお松本侑子訳ではteatimeのことを お茶ではなく夕ご飯になっています。掛川恭子訳もそうですね。夕食は簡単にしてたみたいですからそうかも知れません。
右の写真はアンの時代の調理器具で、村岡訳では蒸し釜です。これで料理したbroiled chickenを村岡訳では焼き鶏(やきとり)、他の人は鳥の丸焼き(中村佐喜子)、チキンの焼いたの(掛川恭子)、チキンの照り焼き(松本侑子)です。照り焼きは醤油が必要なので、松本さんこれは言い過ぎでしょうよ。 (笑)
私がどうしても許せないのは、虹の谷のアンでお金の単位にポンドとドルが混在していることです。本当はドルなのに村岡さんは勝手にポンドにしています。細かく見てみましょう。15章と16章の部分です。
掛川恭子訳…メレディス牧師の給料には、この先1セントでも払うものかと教会の役員たちにいったそうです。
村岡花子訳…もう一銭だって、メレディスさんの給料は払ってやらないって、理事さんたちに言ったのですってさ。(一銭は日本語的にはヨシとしましょう)
掛川恭子訳…ノーマン・ダグラスにしても、まえに教会に来ていたころには年に百ドルも出してくれていたんです。
村岡花子訳…ノーマン・ダグラスなぞは、ずっとまえ、まだ教会に来ていた時分には年に百ポンドもだしていたそうですよ。
掛川恭子訳…まえは給料分として年に百ドル払って、教会にもちゃんと通っていた。年に二百払うと約束したら、教会に 行かんでもいいことにしてくれないか?
村岡花子訳…わしは年に百ポンド払って、教会へいっていたものじゃ。もし年に二百ポンド払うと約束したら教会へいかなくてもいいことにしてくれないかね。
掛川恭子訳…あんたの父さんに地獄の話をさせてくれたら、そのたんびに、もう十ドル払おう。
村岡さんの孫訳…お父さんに地獄の話をするよう仕向けてくれたら、そのたびに、お手当を十ドル余分にはずんでやろうじゃないか。(昔の本はこの部分カット)
原文にはcentとdollarが出てきます。通貨の単位がない箇所があるので勘違いされたのでしょうが、物語をはしょらず全部訳していれば気が付いた筈。またお孫さんが手を入れた時に直すべきでした。本屋で確認してきました。新潮文庫はポンドとドルが混じっています!
虹の谷のアン 16章のフェイスがノーマン・ダグラスに盾突く場面は難しい英語です。Scotch fiddleは図書館の大きな辞書にも載っていませんでした。 ネットで調べたら疥癬のことらしいですよ。お孫さん すごい!
Scotch fiddleについては外国でも難しいトピックのようで、モンゴメリのファンサイトでも取り上げられています。
掛川恭子訳…おじさんなんて吸血鬼よ!そろばんづくのけちんぼよ!(けちんぼはvampireの別の意味なので、Scotch fiddleは無視?)
村岡さんの孫訳…あんたは吸血鬼だ。疥癬でも持ったらいいでしょう。
修正前の村岡花子訳…あんたは吸血鬼だ。スコットランドの胡弓でも持ったらいいでしょう。(確かにfiddleはバイオリンのことですけど意味不明よね)
このような理由から、私は赤毛のアンは講談社文庫の掛川恭子訳をお薦めします。松本侑子さんもいいけど、まだ3冊しか訳していらっしゃらないのでね。村岡訳は格調高くて良いと言う人もいますが、それ以前の問題かと。ま、あの時代にしてはなかなか頑張ったとは思いますけど、全国の図書館の人に申し上げます。せめて昔の村岡訳は廃棄してください!